RE:24 害獣?対策

『万物の霊長』たる人間が、『畜生』の熊が出た、猪が出たと言って右往左往している。
人間にとっての害獣と言われる動物は、生きるがために餌を求めて人里に出没し、
人間の栽培した作物を食い荒らし、時に人間に害を与えるから人間にとっての害獣となる。
山に食べ物がある年は出てくることは少ないようだから、生きるがための食べ物があればわざわざ
里に出てくる必要はないであろう。
一方で人間界には廃棄食料が年間500万トンも出ているという。
これらを再加工し、また里にある柿なども併せて動物の餌として、使用することはできないものか。
人間と動物の生息域の境目あたりに餌場を設け、それ以上人里に出てくる必要のないようにする。
『敵』を知るため、捕獲した動物にGPS発信機をつけ、また定点カメラやドローンの活用で動物の生態を監視する。(実例があるはず)
センサーで動物を感知し、音やにおいなどで移動をコントロールする等、できることは種々あるはず。
動物には、県境などの境界があるわけではなく、また費用も掛かることから、地方自治体や民間だけで行うには無理がある。国も関与して総合的に管理する。
現時点では、捕獲された鹿や猪などはあまり(殆ど?)食肉などに利用されることなく、廃棄されて
いるようだが、もったいないし、廃棄処理するにも手間がかかる。何より生命に対する冒涜であるといえよう。
牛の放牧と同様な観点で、自然の中で飼っているという捉え方で、増え過ぎの部分は食用にするなど
管理する。牛・豚・鶏のように食肉を産業として興し、管理の費用を賄う。
世界には飢餓状態にある人が多く存在する。
地産地消で食肉の輸入を減らすことが出来れば、食料の不足する地域へ回ることにもなる。

温故知新。明治政府は殖産興業のために自ら産業を興した。
意味不明なお題目だけの?新しい資本主義よりも、具体的な政策を行うべき。

奈良公園の鹿は、問題もあるようだが、人間と共存している。
猿山の猿は、人間から餌をもらって、集団で(おとなしく?)生活している。出来ないことではないのでは?
繰り返すが、万物の霊長と自称する人間が、熊や鹿が出たと言っては右往左往するのでは情けない。
その場限りの対策ではなく、抜本的な対策を行わなければ、いつまで経っても同じことの繰り返しだが、狩猟をする人も段々と減少してきているようなので、いつまで続くことか。
場当たり的な対応は、その時は少なくても、積み重なれば膨大な手間になるであろう。
対策のシステムを創れば最初は手間でも後が楽になる。

自然界では、弱肉強食で、色々な動物が活動しているが、どれも不必要に獲物を狩り、食すことは無いであろう。食べ過ぎれば動きが鈍くなり、自分が狩られる立場になる。
やたら食べ過ぎて、健康を害するのは万物の霊長たる人間くらいなモノではないか。
弱肉強食が自然界の摂理であるならば、ただ殺して捨ててしまうのは摂理に反しているといえよう。
鳥インフルエンザや豚熱の発生によりそれらの肉の供給が減ることがあった。古くは狂牛病。
食料安保の観点からも野生動物の管理・飼育・活用が必要であろう。

熊を駆除すると『かわいそう』と抗議の電話が来るというが、菜食主義者でもなければ、牛・豚・鶏の肉は食すであろう。人間に害を与えるわけでもないのに、生きながら殺され食肉にされる彼らはかわいそうではないのだろうか。そんな抗議は聞いたことが無い。卵など生命になる前に食べてしまう。



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